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2011.12.05日記

2011 12 05 日記

誰かが正義にした意見が通り

そうではないことはすべて間違いになった

永遠の愛みたいなのを信じて3年で終わり別れる人もいれば

なんだかんだで片想いが死ぬまで続いた人もいるだろう

それが実は両想いなら悲しいことだ

基本的に本当に好きな人とは一緒にいれないのかもしれない

自分にはまったく関係のないことだけれど

話は変わるが

人に、恨みはいつか消えるみたいなことを言っておいて

いつまでも恨んでいる自分がいた

彼女は当時高校生でした

彼女は私にいつも悩みを言いました

そして口癖はリスカでした

彼女は昔のことをいつも引きずっていました

私はしかし決まってこう言いました

今何もないならいいじゃないか、と

しかし彼女は何を言っても変わりませんでした

変わってもすぐに考えを戻してしまうのです

もはや、のろいのようなものを自分でかけているようでした

いや、何ものかからかけられている、というべきなのでしょうか

私はそれを自分とは関係ないものと思っていました

しかし今は彼女の言ったことがわかる気がします

関係のない話をしますが

人は偶像を信じ、崇拝し、愛さえ抱きます

しかし永遠ではありません

飽きたら捨てます

偶像だったからです

また、自分の秩序で動き、正義を語ります

しかし世界は常識をつくります

そして多数派の意見を正義とします

結果争いも起こります

そもそも動植物を犠牲にして生きていることは

人間としての正義に位置づけられますが、正しいとは言わないまでも

それを正義にして、生きてきたことになります

都合がよく無責任なようですが、そうして生きてきました

コミュニティーとして人は今や特別な存在です

生きることをある程度は保障されています

そして自分と同じ人間を助けることを、形の上では正義としています

できているかはともかく、

結局は自己満足でしか助けません

気が済んだらそれで終わりです

代表は、一日限定のボランティアです

さらには自分と性格が違う人に危害を加えたりさえするかもしれません

偽善にエクスタシーを感じ、結局は何も救えていません

自分のそのエクスタシーを正義だなどという前に、

せめて広い心で人と接することから始めてほしいです

助けとエクスタシーのコラボレーションもありますが、

非常に稀であると思います

何より、大多数の人が、適当なことを言って、人を救っているつもりで

救っていない、救われたのは本人だけということです

しかもそのエクスタシーを、人は、共感したなどと勘違いし、

支持し、それが正義となります

正しいか間違いかは人によりますが、世界が、そういう流れで動いているならば

ただ、くだらない

話は戻りますが、結局私はあの時、彼女の話に対して、

自分の正義で反論しました

きっと彼女は肯定してほしかったのです

今の私がそうであるように

と、いつかの私は思いました

人はどうして生産性のないことに群れるのですか、と言って、

自分も人のことを言えなかった

私は常に、普通ではない人を求めてきました

性別は関係なく

だから、常識でつくられた心を持つ人に何の興味もなかった

でも普通ではない人ってどんな人なんだろう、と言いました

まぁ、話さないとわからない、そういうことでしょう

詩・随筆