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自分にとって、あるもの、などの話

案外人は絶望というようなものを物語として見た時に

少しの間優しくなれるのだろうと思う

なぜなら自分がそうだから、それだけである

それがたとえ、幸せだったという前提があっても、

なぜか物語ゆえにそこは考えないことが多い

しかし、どちらにしても最近よくわかることは

幸せもあり、不幸せもあり、それが普通なのかもしれないが、

いったいこの世界において、絶対的な基準はなんだろう

戦いはきっといつまでも収まらない、それがどんな形になろうとも

多分それは男と女があるから、なのかもしれない

同姓だけになればそれはそれで同性愛が始まり、奪い合いもあるかもしれない

それはわからない、今はそうではないから

それがなくても、利益を求めて争いはあるかもしれない

世界の平和のためといい、結局は人を殺すことになることもあるかもしれない

自分にとっての正義、文化圏の違い、宗教の違い、それらによっても、

戦いは起こるのだろうと思う

たとえそれらにおいて、人を殺してはいけないということが含まれていても、

戦いが起こり、人は殺しあうことになるのだろうと思う

始まりが曖昧で、勘違いから始まり、気づきで終わる戦いもあるのかもしれない

そうして争いは、何があっても治まらないのに、

どうして人間は、種の存続をあえて促進させようとするのだろうか

きっと人間が滅亡するというようなことがあるとしたら、

何かそれなりの技術が必要になるのだろう

しかし、ある意味で、知らないうちに、滅亡、などということが、

一番、苦しみを生まない方法なのかもしれないと思ったりもする

本当かは自分にはわからないけれど

話は変わるが、環境のためといってエコなどと言ってる人は、

それが人間のためだとも思っていないのだろうか

それとも、日本伝統の洗脳術だろうか

世界的にそうなのかは知らないから何とも言えないけれど、

つくづく日本人で育った人は人に嘘をつくことは得意であり、

間違いだとも思わない人が多いと思っている

あえて武士道のようなことを語る奴もいるけれど

それでいて平気で人に死ねと言い放ち、

何とも思っていない

右翼か何か知らないが、国旗を崇拝し、天皇を崇拝し、そのために命があるかのように語り、

それを批判する人には平気で、国を出るように言い放ち、勝手に在日と認定する奴もいる

それでは、実際のところ、天皇のためなら、死ねるというのだろうか、

聞いてみたいものである

相手のことを知らなければ、何を言ってもいいと思っていて、

嘘を見抜けないのが悪いかのようなことも平気で言うが、

それでいて、悪口は本音で言い返し、それがネットではいつもある

ネットでなくてもあるのだろうけれど

あえて渦巻いているであろう言葉を言ってしまえば、

この世の中には愛も友情も正義も本当は存在しないのかもしれない

その見せかけの愛は自分を癒すためのもの

見せかけの友情は自分を守るためのもの

正義というのはそもそも主観であり、他人に適用できるものではない

愛と友情は、そうでないと考えることのほうが、自分にしても、多いのだけれど

実際のところ、心というものを省けば、そうなるのだろう

人を殺したらいけないのか、は、法律が結局のところ決めるもので、

それゆえの結果が下される、そういうことになっている

裁判官にしても人間で、その法律にしても、人間が最後は決めることになる、

しかも冤罪でないとも言い切れない、そんな状況で、ある意味、一部だけを

取り出すしかないのだろう

ある意味、ばれるかばれないかの勝負にもなっているのかもしれない

恐ろしい話でもあるけれど

実際、自分が殺されたくないから、そういう法律があることがある意味

助かるとも言えるかもしれないが、

それをいつ誰が破るかも、何も自分にはわからない

むしろ誰にもわからない

私は、人を殺す場合は、恨みが原因でなければいけないと思う

無差別なんていうのは、許し難い、と自分は思う、あえて感情を交える

関係ない話になるが、虫を殺しても捕まらず、猫や犬だと、

動物愛護団体か何かが動いたりもするようで、感情を交えるとすれば

気持ちはわかるのだが、実際のところ、どこがどう違うか、説明できるのだろうか

そういうところからして、この世界は曖昧である

というより、多数派の意見から成り立っているだけかもしれない

また、日本人の多くか、ネットだけかは知らないけれど、

人が自殺したときに、電車が止まるようなことがあると、

人の命について同情なしに、場所を選べだとか、山に行けだとか、

そういうことを言う奴ばかりなのを見ると、なおさら、

というより、そういうのを見始めてから、

人間には、少なくとも、多くの日本人、少なくともネットでは、本音では、

日本で育った人間には

愛もなく人の命を重んじることもないのかもしれない

自殺は場所を選べとか、

人に迷惑をかけるななどと言い、それでいて、

猫や犬を飼っていて、チキンを食べながら、動物を殺してはいけないよ、

なんて言う、ちぐはぐなことをしでかす奴が

それでいて、自分にとって大切な人が、いわゆるするべきところでないと

勝手に思っているところで自殺をしてしまったら、そして、迷惑だとか言われている

のを見るとしたら、いったい彼らは何を思うだろうか

きっと自分に関係ないことだからこそ、勝手なことを言えるのだと思う

人のことを何も知らず、それでいて自分のしていることがまるで正しいかのように

勝手に人に意見を押し付け、その結果から逆算して正当化しようとする

多い、というだけで、全員ではないし、自分もあてはまらないわけではあるけれど、

いったいどうしたらそういう自分の勘違いに気づけないものか不思議だ

それこそ、自殺がすべて本人のせいだと思ってる奴がいるとしたら、

そういう奴らが、自殺に追い込んでいるとしか自分には思えない

愛もなければ友情もない、いつか人類は滅亡し、地球は滅びる、

そんな事実に気付きながらも、

自分自身もその愛も友情も、知る機会を得てこなかったとしても、

もしそれを得る時があるのだとしたら、

それを大事にする人間でありたいし、偽善者だとしても

自殺を止める側の人間になりたいと思うし、

自分もそういう人間に会いたいと思う

きっと、自分があると思えば、少なくとも自分の中では、あるのだろうと思う

たとえ何であろうと

詩・随筆