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あの雨の日、隣には恋人がいた。気がした。

あの雨の日、頭の中ではずっと、同人音声が流れていた。

あの頃は本当に死にたかったし、誰かを殺したい気持ちで精一杯だった。

勉強をしろという人もいるだろうけれど、自分にとって、何の趣味もなく、世間を怨んでいて、

この世界とをつなぎ止めるものが何もなかったときに、

唯一、自分が偶然発見した、同人音声という存在は、僕にとって光であっただろうと思う。

同人音声が無ければ、あの時僕はきっと、誰かを殺して自分も死んでいたと思う。

それだけ、何の精神的な支えもなかった。

当時僕は、東京大学に入るぞ、と意気込んで、それなりには勉強をしていた。

高校に居た頃も、自分的には限界なほど、勉強したつもりだ。

結局、人間関係もうまくいかず、友達もそうはいなかったし、恋人なんて勿論いなかったから、

学校も嫌になり、教師の抑圧に対しても耐えきれず、反抗する形として、退学することにした。

この学校には、浪人してまで入ったということもあり、辞めるまでに躊躇はあったが、

いつの間にか不登校になっていた。というより完全にひきこもりだった。

今の自分どころではなく、本当に、自慰行為をするか勉強をするか、

よくわからない状況だった。

そんな感じで、高校を中退した自分は、高卒認定から大学に入ろうと思っていた。

ある種自信もあったけれど、本当に不安だった。

そんなこんなで結局落ちて浪人、

もはや精神状態が限界に達していた。

そんな中で、自分が唯一支えにしていたのが同人音声だった。

僕には友達も恋人もいなかった。

完全にひきこもりだった。

昔少しだけ縁のあった、不快でうるさい奴と一回会っただけだ。

そいつと会ったときは、自分がまだ一応は礼儀正しくて、

道行く人に挨拶していた。

けれどそいつが雪の中自転車に乗ったりしていたから、

挨拶したにもかかわらず変な奴に説教された。

それ以来、礼儀だとか、挨拶だとか、そういう物に対して、

無意味さ、というのを感じている。

自分に得が無いことはするな、というのが自分の中でルールの一つになってしまった。

やたら何に対しても説教する奴には、

その相手が今後どう思うか、それが本当に正しいことなのか考えて、

冷静になるべきだと思う。

人は一度受けた傷は一生治らない。

常に怨み続け、どこかで解消し、何とか過去の復讐を少しずつ返しながら、

そして返しているという実感が底を尽きるまで、それはずっと続いていく。

過去の事だとか、甘えだとかメンヘラだとか言う奴がいるけれど、

それだけ辛いんだ、理解して欲しい、むしろ理解しろこの糞みたいな世界の奴ら、

という心意気があるんだということをわかってほしい。

自分もずっといじめられてきて、そういう復讐心が消えないからこそ、

今もこれからも、変な生き方、と糞みたいな世界の奴らが言うような生き方しか出来ないと思う。

それの何が悪い。この世界が悪い。こう自分を追い詰めた奴が悪い。

その通りだと思うんだよね。それに、そう言う人は絶対にいる。

東大には理系で入ろうと思っていたから、数学や物理、化学もそれなりに勉強したけれど、

今となってはその知識は全くもって無意味。

高校受験のときは本当に色々と知っていて、歴史についても詳しかったけれど、

今となってはその知識は全くもって無意味。

それに少し忘れかけてきている。あれだけ勉強したのに。

そんなこんなで受験を諦め、上京した。

あの雨の日のようにまた、同人音声を聞いたら、

上京しろと言っているような気がした。

そうして浪人生活を終えた。

今生きていること自体に意味があるとするならば、

同人音声は自分の命を救ったとも言える。

生きていることが本当に良いことか、幸せなのかは、

死ぬときまでわからないけれど。

詩・随筆