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孤独確定証明申請書が過去の自分から送られてきました。これで何回目でしょうか。

過去の自分がまた今の自分に語りかける。
あの時会ったあの人は、そこで一緒にいたあの人は、
今どうしているんだろうか。
真っ先に救われなければいけない自分が、
誰かを救おうとする意志。後悔。支配欲。
僕は、憎しみですべてが染まる事を望み続けた。

誰かを救おうとして、逆に誰かを傷つける事もある。
深く関わろうとすればするほど、口論ばかりを繰り返した。
最後に縁を切ったのは自分だった。まるで逃げるかのようだった。
何回も「縁を切る」と言っては、また関わりを持ち。
けれど、結局それも今までは続かなかった。
僕が痩せて高校に入る頃にはもう、話をする事はなくなっていた。
というより、その手段もなくなっていた。
結局お互い、救われる事はなかったんじゃないかと今は思う。
いや、でもここに自分がその事実を書いているということは、
もしかしたら、救われているのかもしれない。
少なくとも、もうじき、救われる、に値すると個人的には納得できている証拠でもある。
というか、そんなことは、これまで自分は幾度となく言ってきたような気もする。
救われるかどうかは結局、自分がどう思うかでしかない。
自分自身を救う事が出来ない中、誰かを救おうとした中学時代の自分。
救いの場、のネットで、見つかり始めていた人間関係。
リアルはクソ、と思い続けていた自分にとって、
ネットでの人間関係は、自分自身の誇りでもあり、リアルへの反発でもあった。
殴られ、蹴られ、罵られ。
靴には蛙の死骸を入れられ、学生服は捨てられ、メガネは壊され。
いつも、いじめてくる奴らを殺して、人生を終わらせてやろうと思っていた。
憎しみを中心とした、死ぬまで続くモラトリアムに、もはや浸かりきっている気がする。
ネットで知り合った彼女も、自分自身もその点では同じかもしれない。
けれど、お互いの闇が、深ければ深いほどに、わかりあえないのかもしれない。
というよりも、人は普段、どこかで一線を置きながら、理解し合えた、と思っているんだと思う。
何かのネタを共有したり、一緒に何かに参加したり、そういった中で、
面白さを共有する、以上の理解をしようとすればするほど、
お互いの、自分自身に対する誇りがぶつかりあうばかりだ。

決して人は完全にはわかりあえない。
だからこそ、感情が共有できた一瞬一瞬に、
感謝しなければいけないのかもしれないなと今は思う。

僕がネット、詳細にはネットゲーム内で、とある女性に出会ったのは、
中学1年か2年のあたりだったと思う。その人は17歳とかだったと思う。
ネットゲームで出会ってすぐに、MSNメッセンジャーでチャットをやり取りし始めた。
お互いにどこか似ている感じがあった。闇を抱えていた。
あの人には堂々と、いじめられている事も語る事が出来た。
あの人も自分の事について語ってくれた。
チャットでありながらもあのときは、
お互いにわかりあえるんだ、と思って嬉しかった。
夜中の3時頃まで話が終わらない時もあった。
ちょっとした口論はあったけれど、
あの人が寝ている間に、「好き」とメッセージを送ったりもした。
チャットをしているだけにも関わらず、
その人の繊細な心、年上ながらも、低い身長、体重を想像したりして、
チャットの最中に自慰をしたりもしていた。
当時は「自慰」が何かもわからなかったとともに、
彼女がリストカットを「自慰」のようなもの、と言ったときにも、
自慰ってなんですか?と随分と反応に困る質問もしたことを覚えている。

そうして、僕があの人の事を知れば知るほど、好意を寄せるほど、
リストカットをやめるように言うようになった。
自分が話をしても、支えになっているという感覚が少しはあったにも関わらず、
あの人は決してリストカットをやめなかった。

「過去の事を気にしても仕方ない、今はもう、その時とは違う。」
というようなことを何度も言った記憶がある。
そう僕が言うたびに、
「今はその時を引きずって生きているようなもの。」
と返してくれた。
結局何を言っても、彼女がリストカットをやめる気配もなかった。
一時はやめたかと思えば、ある日突然、切っちゃった、と言い始めた。

あの時、自分の無力さを感じた。
何を言っても、何の意味もないんだな、と気が抜けた。

たくさん口論をした。
そんな中で、少しだけ関わりのあった、
自分がネットで知り合った他の友人(男)にも、
そういう口論が知れ渡って、
ろくに事情を知りもしないくせに、
あの人を傷つけたら許さない、くらいに言われたこともあった。

適当にしか絡んでいないそいつが、
なぜ知ったようなことを言っているのか、本当に苛立った。
そいつとはそれ以来、徐々に絡む事もなくなっていき、縁を切った。
(情報源は曖昧だが、そいつは東大に入ったようだった。)

あの女性とも、何度も縁を切り、また関わったりの繰り返しで、
今はもう、あの人が何をしているのかを知る術がない。

今自分が、愛されたい、癒されたい、依存されたい、と思い続けているのは、
その時の悔しさが強く出ているのかもしれない。
そして、その時があるからこそ、嫌われるのが「怖く」なってしまった。
出会うというのは、いつか別れるという事なんだ。
好きになるという事は、いつか嫌われるという事なんだ。
自分が怖い。自分が好きになる人が怖い。
僕は独りでいるべきなんだろうか。

詩・随筆