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青春がなかった人生。終わらない思春期を過ごす自分。

自分の人生を振り返るたび、青春がなかったとつくづく実感する。学生時代は、真面目に勉強をした記憶と壮絶ないじめに遭った記憶しかない。塾に通わされて、こうちゃん(=月永皓瑛)は天才だとか、将来は楽ができるとか、いじめた奴を将来見返すことができるなどと言われた。しかし、意味のない学生時代を過ごしたという過去だけが重くのしかかってくる。

中学生の頃のキャンプファイヤーでは、自分のときだけ女子が遠ざかっていった。その上、耐え切れないほどのいじめがあった。悪口を言われるだけでは済まず、教師が見ていないときには散々、殴る蹴るの繰り返し。毎日アザが出来ていたし、それらが治る前に同じ場所を殴られ蹴られる。もう今すぐにでもこいつらを殺してやりたいと思っていた。

しかし、それでもやはりやり返さなかった。相手は大人数なのだから、それに立ち向かうというのは無謀だった。勉強なんて出来て何の得があるのだろうか、こんなに辛い思いをした代償として何か良いことはあるのかと、常に疑問を抱きながら過ごしていた。今では、自分をいじめた奴らを全員殺してやればよかったと思っている。

中学卒業後は一年浪人し、50kg痩せて自信満々で高校に入学したものの、同級生の空気感に全くついていけなかったし、どうしても周りの人間を見下し、対等に話をする気にはならなかった。一応、生徒だけはマトモな人間が集まっていたため、いじめられることは全くと言っていいほどなかったのだが、学校以外で絡む人というのもまた誰もいなかった。勉強と自由な時間を最優先した結果、その道を選択した。

1年の頃から理系で大学を受けるのは確実であったため、受験で必要のない科目の勉強は極力避けることが望ましく、内職をすることを許可してもらおうとしたことも多かったが、教師と揉めることも頻繁にあった。その結果として、3年の7月という卒業間際とも言える時期から突如学校に行かなくなり、最終的には退学という道を選ぶことになった。

高校を中退してからはまず高卒認定を取り、これまで自分を否定してきた奴らを見返すために必死に受験勉強をした。しかし、質の低い高校で卒業寸前まで過ごしてしまったことに対する後悔ばかりが募っていった。無能な教師ばかりがいて、無駄に細かい校則を生徒に押し付け、その上ねぷた祭りという無駄なイベントを行って地域住民に媚を売るというダサい行為をしながらも、中途半端に自称進学校を気取っているような高校であった。

またそんな中、要領よくバカな教師の説教を軽く受け流して青春を謳歌していた奴らについて思い出すとと、やはり自分の学生時代は全くの無駄であったのだなと実感させられた。高校から帰宅する学生を窓越しに眺めるたび、自分は何にも良い事がなかったな、と胸に沁み入っていった。また、将来に対する不安も募っていった。これから先どうなるのか、自分でも全くわからなかった。

もはや自分はこんなところにはいられないし耐えきれない。常にいつ自殺するかを考えていた。精神的にもう限界だった。東大の赤本、青本を見るたびに憂鬱になっていった。落ちたらどうしよう、また浪人することになるのか。ならば妥協して別のところでも良いかもしれない、とも考えたりした。どちらにせよ東京には絶対行きたいと思っていたため、選択肢は多くなかった。しかし早稲田や慶応は学費が高いし、払っていけるかわからない。それに、ここまで勉強だけをして生きてきたからこそ、その圧倒的な成果を残したい。その辺のバカ共とは違うんだ、ナメられたくないんだ、という強い意志もあった。何より自分は大学で哲学を学びたいということもあり、理系で入って文転(進学振分け)しなければならないのだから、やはり東大に入るしかなかった。しかも父母も祖父母も東大へ入ることを期待した上で中退という決断を受け入れたわけであるし、今の浪人もその結果である。もう逃げ場がないという強い実感があった。

しかし、大学に行ったからといって就職はしたくないと思っていた。何か凄いことをやるか、物凄くモテて、持て囃される職業以外、絶対にやりたくなかった。おそらくは、これまで一切持て囃されることがなかったがゆえの反動なのだろう。とにかく普通の奴にはなりたくない、何者にも縛られたくないという具合であった。そして、そう思い始めると、居ても立っても居られない気分になっていった。自分の実存を意地でも認めてもらいたい。こんなところにはいられないと焦る日々。考えれば考えるほど、もはや勉強どころではなくなっていった。将来やりたい事と今やっていることがあまりにかけ離れていた。18歳、19歳、20歳……。もう、残り時間は多くないし、どんな状況であれ、26歳までには凄い伝説を残して死のうと思っていた。

母親はその頃、父親と離婚することがほぼ確定的で、自分の受験が終わり次第離婚する予定だった。しかし、自分が色々と思い悩み、学力も徐々に下がっていく中、もう東大は諦めて受けることもせず、早稲田に入学する方向で努力するという旨、将来は伝説を残して死ぬ、という旨を伝えたところ、それなら早く上京してやりたいことをやって生きていけということになった。その決断とほぼ同時に、両親は離婚した。こうして、中退、浪人を含めた、長い長い高校生活に終わりを告げた。

その後、紆余曲折があって今がある。果たして、やりたいことは出来たのか。そして残り時間はどれくらいなのか……。考えたくもない。考えれば考えるほど焦るのだ。これから先の人生の目処は一切何もない。これまでの苦労を考えると、今更もう、自分自身のプライドを捨てることはできない。プライドを捨てるということは即ち自殺を意味する。逃げ場のない日々の中、常に後悔しながら、焦りながら、一つ一つ何かを成し遂げながら、生きていかなければならない。最近では、本当に数少ない仲間と呼べる人に対しても、元気なフリをすることが出来なくなってきた。元気な様子のときがあるとすれば、それは無理をしているだけである。

上京した当初、とりあえず闇雲に、秋葉原UDXビルの2階の階段に座っている人を見つけては、あなたは何者か、何のために生きているのか、楽しいことはあるか、などと問答していた日々を思い出す。沢山非難を浴びて、誰もいないときは一人で傘を振り回していたこともあった。しかし、あの頃はまだ金銭的余裕があったからまだマシだった。今はもう本当に元気がない。なぜ上京したのか疑問に思う事もあるし、何のために無駄なことを沢山やってきたのか、後悔することもあるし、親にもその事は毎日のように言われている。

もう今は誰も助けてはくれないし、そうである以上、これから先はまさしく自己責任がつきまとうということになる。自分のような人は最後、自己責任で死ぬしかない。プライドを持ち続けるためには、しっかりとそれをカバーできるくらい恵まれた環境に生まれなければならない。自分がプライドを捨てない限り、救いはない。いや、プライドを捨て去っても、救いはないかもしれない。どちらにせよ、そろそろプライドを捨てるときが近い。果たしてどう決着をつけるのか、自分にもわからない。

詩・随筆