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未成年者や社会的弱者による乳児遺棄事件は日本社会のせいで起こる。

 日本では度々、未成年者や経済的弱者による乳児遺棄事件が話題になるが、
その度に多くの人達が遺棄した人、とりわけ女性に対して強い非難の声を浴びせる。
しかしながら、彼女達が悪いと言えるのだろうか。
決してそうではないはずである。

 まず日本では中絶費用が非常に高い。
例えば東京都における母体保護法指定の医師による手術の場合、最低でも10万円ほどはかかるようである。
また、妊娠週によってはとてつもない高額(中期つまり12週〜21週となれば20~50万円ほどの費用がかかる)となるため、その金額を払えなければもう中絶は不可能となる。
健康保険の加入者及びその被扶養者であれば、出産育児一時金から賄うことができればまず資金の工面はできたということになるが、
その後まず中絶同意書を書かなければならない。
パートナー等に書いてもらえなくても事情があれば何とかしてもらえると思うのだが、
身近に相談できる人がいなければこのような手続きは先延ばしになりがちである。
また、全ての条件が揃ったとして、中絶が可能となっても、
それ自体当事者にとって大変な決断であるにも関わらず、
中絶するというだけで門前払いする産婦人科もあったり、
何とか中絶しないように説得を試みて粘る産婦人科医もいたりして、
当事者の願望をなかなか受け入れないような状況もある。
医師である以上、自分のプロライフ的な主張を押し付けるべきではない。
それは医師を辞めて活動家としてやっていただきたいものである。
またその他にも日本ではまず中絶に対しての社会的な抑圧というか空気感があって、
当事者女性がその空気に逆らうことができるのかというところも問題になってくる。

 このように日本では、中絶をすることは決して楽なことではない。
まずそれを出来るか出来ないかの時点で敷居が高く、手間も金もかかる。
そして社会的抑圧、つまり、中絶を認めようとせず、軽蔑しようとする空気の蔓延も問題である。
選択肢があるかのように見えても、当事者が自由に選ぶことができる状況にはなっていないのである。
 そんな社会状況の中で、乳児遺棄事件が起きたら、お決まりの自己責任論であったり、
なぜもっと早く誰かに相談しなかったのか等のわかりきった話をしたりして、結局は当事者女性が悪いという風潮がつくられてしまう。
 なぜこのように女性の責任ばかりが問われるのであろうか。悪いのは望まない妊娠をさせた男性の方である。乳児遺棄事件が起きたとしても、罪に問うのはパートナーの男性だけにした方が良いと個人的に思う。自分が産まないからと言って、逃げてしまえば責任はないというような状況では、あまりに不均衡である。多くの人がそう考え直すようでなければ、これから先も当事者の中でもとりわけ女性は乳児遺棄事件を起こすしか選択肢がなくなるのである。

 このような事態にならないためにもまず、
日本はスウェーデンのように「女性の権利」をもっと重視するべきなのである。
 スウェーデンではまず中絶同意書に男性の欄がなく、妊娠18週までは女性一人で中絶をするかどうかを決めることができる。
(18~22週では役所の同意が必要となっている。)
本人が15~18歳(日本における未成年)である場合、両親に知らせずとも中絶をすることができ、15歳以下の場合には一応法律により両親や親権者に知らせた上で判断することになっているが、本人が両親に知らせることを拒否すれば、社会福祉士がサポートとして付き、両親に知らせずとも中絶手術が可能となる。
また、中絶費用は日本と大きく違い、多くの地方自治体において20歳以下の場合無料とされているし、成人の場合でもおよそ3000~5000円ほどで済む。
しかも、手術後のケアについても手厚く、時間がある程度経った後でも、受付窓口で話したり、カウンセラーや心理学者の診察を受けることができる。

 「自己責任論」で全てを解決しようとする人達はそろそろ、当事者ではなくて日本社会に原因があることを知るべきである。ただ悪口を言って軽蔑して理想論を語っていても仕方がない。偽善的な態度だけで解決することとしないことがあるのである。
 当事者の実存を全く無視した、現実味を欠いたような説教をして自己満足に浸って、更に当事者やいずれ当事者になるかもしれない人達を追いつめるようなことがあってはならない。

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