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理想の世界を考え、自分の過去を振り返り、青空鑑賞会解釈を考える。

これまで様々なことを言ってきたのだが、それならば「理想の世界」はどんなものであるかと言えば、
人類は衰退しなければ平等も相対的な幸福(=無)も実現しないのだから、
まずは人類衰退へ向かって一歩一歩進んでいかなければならないことはまず大前提である。
そして自分が思うに、幸せであって欲しい人ほど、生まれない方がよかったというように考える。この世界に生まれるということこそが実は不幸だと考えているのである。それは、いくら幸福な経験をしようと、死ぬときにはそれを失うことになるからだ。
果たして、死ぬ時にこれまでの幸福を失うことと、生まれてこないことによって幸福を一切体験せず、それを失うことすらないことと、どちらが幸せなのだろうか。
そして、これまでの不幸な経験から解放されるために死んだ人達、理不尽に殺されていった人達は、果たして、生まれてきてよかったと思っていただろうか。
幸福な経験をこの世界で一つでもしてさえいれば、生まれてきてよかったと言えるのだろうか。
それは、今日食べたものがうまかった、良い景色を見ることができた、そんなものでさえ、考慮にいれていいのだろうか。それともなければ、かけがえのない恋人ができた、本物の友情を手にした、そんな、プライスレスなものでなければならないのだろうか。
果たして、何をすれば、生まれてきてよかった、と思えるのだろうか。
果たして、何となく生きていった先に何があるのだろうか。何か素晴らしいものがあるのだろうか。
人間は結局、創造主が何者か確信することも、創造主がいたのかも、
なんでこの世界に生まれたのかも、何もかもわからないまま、うまれ、死んで行くしか無いのだろう。
そんな世界に生まれたという事実は、祝福されることだろうか。
これから先、そんなものを祝福するべきなのだろうか。
産声をあげた子供の首を絞めることこそがもしかしたら、祝福するべきことなのかもしれない。
今、ここにいる自分はかつての自分の首を絞めることは決してできないだろう。
今、ここにいる自分はやはり、今の自分を失うことが恐ろしいし、やらなければならないことがあるという何らかの使命感がある。
そしてやはり、生きている希望があるわけでもないが、死にたいという欲望はないし、強いて言えば死にたくはない。
しかしもしかすると、死にたくないという恐怖から逆に、これから先の不安に押しつぶされ、死んでしまうのかもしれない、と不安に思う事もあるが、それはやはり苦痛なので、できる限りメタ化が進む前にやめておきたい。永遠に悩み続ける回路に迷い込んだ暁には、もう元には戻れないかもしれない。
しかしやはり自分はこれから先もこの先行き不安な人生を生きていくのかと思えば、息が詰まる思いである。
何も成し遂げないにはあまりに長く、何かを成し遂げるにはあまりに短い人生の中で、
自分は今から、何をどうしたらいいのだろうか、と迷い続けている。
絶望と希望の狭間で、やっとの思いで掴んだ僅かながらの希望の光をどう解釈し、自分自身がどこへ向かえば良いのか。
未来の自分のためにという口実で過去の自分に嘘を吐き続けてきた現在の自分が進むべき道は果たしてどれなのだろうか。
過去の自分を今思い返してみたら、なんでかわからないが、ネット上のとあるコミュニティサイトだった。そうか、スーパー正男なんてのもあったな、かつてはそんなゲームにハマっていて、というか、それを通して友人ができることが楽しくて、毎日正男系のサイトを見ていた。あのときのアングラ感がたまらなかった。俺達がそこにはあった。2ちゃんねるのようなメジャーなものじゃなくて、本当の、閉鎖的ともいえず、過度に開かれてもいない、心地の良い空間。あぁ、テイルズウィーバーっていうMMOもあったな、あれもそういえばスーパー正男でできた友人が紹介したんだったっけ。でもアイツとは結局、色々と誤解された挙げ句仲違いした。その理由ってのも複雑だった。しかし今は思い出したくない。でもおそらく今頃はリア充なのであろう。色々と辿ってみたら東大に入っているようで、自分は浪人して諦めて上京してきたわけなので、苛立たないわけではない。とはいえそれはいい。
当時を思い出してスーパー正男などと検索してみたりもした。少し切なくなった。
自分はあの時、今の自分を望んでいたのだろうか。
後悔ばかりが頭をよぎる。正直な所、中学を卒業してからずっと後悔し続けてきた気がする。
勿論50kgの減量はよかったし、その点で一年浪人したことはよかったのだが。
それでも今度は、捨てきれない希望が姿を現し、それとともに過去の憎しみが、沸々とこみ上げて来た。
デブの代償とカッコいいことを言いながら、お腹の皮のたるみを気にして、一生彼女ができないとか、自分は一生涯童貞確定の身分なのだと信じ、ロマン主義に浸って、挙げ句の果てには女性崇拝に至った。女性に触れられない自分という、お腹の皮のたるみ以外は美しい自分が弁証法的に編み出した。
それにしても、高校時代は面白くなかった。色々な事を迷っていたのは確かだが、ある時期から、絶対に自分はこんな田舎を出るのは当たり前だとして、自分の美しさ、そして自分の理念を伝えなければならないと必死になっていた。こんなろくでもない高校にいていいのだろうかと常々思っていた。何というか、今この瞬間にも出て行かなければならないという気がいつもしていた。
東大に入らなければならないと自分なりに決めていたから、そのプレッシャーもあり、高校1年から相当必死だった。自分で勉強をしなければならないし、かと言って毎朝必ず学校なんていう面倒なものに行かなければならない。しかも教師がゴミしかいなかったこともあり、授業自体が無駄で、しかしながら勝手に内職でも始めたら怒鳴られるし、板挟みだった。理系で受験する自分にとって、異常なまでの古典の課題は本当に苦痛であり、しかし居残りをさせられるし、内申書がどうだとか脅してくるのである。勉強をするというより、社畜になるのと近い。高校だから校畜か?どうあれ、
勉強をしに行っていることは確かであるし、その内容はこちらで勝手に決めさせてもらいたい。世界史の時間には、「なぜ世界史を勉強しなければならないのか?」などと問うたし、「大学に入ってから必要に応じて勉強する」と言っても、聞く耳を持っていなかった。しかし、田舎の似非進学校がいかにダメであり、融通が利かないかを実感した。少なくとも「弘前高校」に入る人は要注意である。当時から基本的に変更がなければ、今もあの状況が続いているであろう。そして教師達はおそらく今日も「第一ボタンが外れてる」「スカートが短い」などと言って、世間体ばかりを気にしているのであろう。実にダサいものだ、あそこにいるボケジジイもボケババアも、いかに生徒に理解してもらえる授業を出来るか、謙虚に考えた方がいいだろう。もう、合法ならばあんな学校壊してやりたいものである。それだけあの学校の生徒は可哀想である。悲惨な人生を送ったと言ってもいい。
いや、それより「桔梗野小学校」だとか「第四中学校」の方が遥かに悪く、いじめなんて日常茶飯事、自分が卒業後、警備員も常備しているらしいのである、実に遅い対応だ。あのときは大変だった。
しかし、中学時代片想いしてた人を、一年浪人して痩せて、いざ、という感じで電話帳で住所を予想したり、実際に行ってみたりしたわけだが、なんだったんだろう。いや、当時の自分は、今思えば必死だったことは確かだろう。地元のTSUTAYAだとか、薬屋だとか、学校から帰る時間を目処をつけて常に遠目で探していたわけだから。それでもって、風が吹く中を自転車でこいでいって、田舎の方面へ進んでいき、だんぶり池へ向かった。途中でその人がどこにいるかその辺のばあさんに聞いたり駄菓子屋で道を聞いて怒鳴られたり色々ありながら行ったわけだけど、あのとき結局ストーカーしながらも常に見つけられず、自分の電話帳の予測は外れていたのかと思って、後悔しながら、その片思いの相手が行ったであろう高校へ向かったりもした。色々なところに、朝から晩まで向かっていた。高校二年の春休みは色々なところへ向かった。結局、見つけられなかった。あのとき見た空が、青空鑑賞会の原点になっていると言って良い。というか、今となっては思い出せないのである。同人音声だったのか、だんぶり池で待ち伏せて、番犬にうるさく騒がれながら、その辺の家々になぜか冷ややかな目で見られ、空を見上げ、その空に見た鮮やかさ、冷酷さなど全て含めて青空鑑賞会と命名した気もする。同人音声は時系列的にその後であった気もするし、だとすれば原点はだんぶり池で見た空だとか、帰りに探した夜空であったりである。この辺は色々な解釈がある、まるで聖書のように。
さて、あの時の青空鑑賞会は今となってはどんどん別の解釈になっていく。果たして今の青空鑑賞会は、何なんだろうか。
そうそう、自分が頑張っても会えなかったのだが、久々に外出したとき、その人に「しまむら」で会ったり、「ヤマダ電機」で彼氏らしき奴と会ったり、「夏祭り」に行ったら、なぜかいたり、そこでは告白したのだが、フラれたのである。それでその後、再び「夏祭り」で偶然にも会ったわけだが、もはや完全に自分はストーカーとしか客観的に考えられないのだが、忘れたがまた告白した気がする。何かもう記憶が曖昧なのだが、このときの心理は複雑であった、というかそもそも無理なことをいきなりやっているのである。これは美少女ゲームくらいでしかフラグとして成り立たないものであったし。
かといって、これはふられるのを望んでいたきもする。東京に行きたかったというのもあったし、何かもう、自分に決着をつけたかったというのもあったきがする。色々な思いが渦巻いていたような気がする。
高校二年の段階でこんな状況で、東大を目指していたというのだから、もう軸がぶれまくりである。そこで告白してもし恋愛成就していたら、青森で一生暮らさねばならないかもしれないし、就職できる気がしていなかった。なんというか、向いてないなと思っていて、心中くらいしか道が無さそうだったのである。ともかく、そんな段階で無謀な告白をして、ふられるのを待っているというドエムが自分だったのである。
さて、今となっては、色々とあったが上京してよかったといえるだろう。勿論苦しいことばかりなのであるが。うーん、よかったって何なんだろうね。しかし青森にいても、きっと自分は今頃発狂していたか死んでいただろう。どうあれ、東京という地に降り立ったということに深い意味があるし、今となっては、失うものも本当に多すぎたが、ごく僅かな、数人だけは自分のことを、本当の意味で理解してくれている気がしている。普段ほとんど外に出ないのだが、それはよかったと思っている。
後悔ばかりの中で、数少ない支えがあることも事実で、だからこそ今自分は生きているのだろう。

詩・随筆