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平然とした顔で、自分以外の男と恋人との関係性に対する鈍感さをさらけ出す男達

 世の中の多くの恋人がいる(異性愛者の)男は、平然とした顔で、自分以外の男と恋人との関係性に対する鈍感さをさらけ出していると思う。

 彼らはよく平然とした顔で、恋人が自分以外の男と話すのを許していられるものだ。恋人が自分以外の男と何らかのコミュニケーションを取るだけで、どこか不快な思いにならないのだろうか。日常的なコミュニケーションであってもそうだ。挨拶程度であってもそうだ。恋人が自分以外の男の声を聞き取り、何かを感じるという事実がすでに、あってはならないことのように感じられないのだろうか。

 また、彼らはよく平然とした顔で、恋人が電車に乗るのを見送ることができるものだ。もしその電車がそれなりに混雑していれば、恋人が痴漢に遭うかもしれないし、たとえ痴漢に遭わないとしても、男と接触する可能性がある。だから、もし電車に乗るしかないのであれば、自分も恋人と一緒に電車に乗り、恋人の身体が自分以外の男と絶対に接触しないように、自分が恋人の身体を包み込む必要があるだろう。また、恋人に無理に触れようとするような奴がいれば、殴る・蹴ることができるように準備もしなければならない。

 また、彼らはよく平然とした顔で、恋人に男の店員からのお釣りを受け取らせることができるものだ。男からのお釣りは自分が受け取り、女からのお釣りは恋人が受け取ればいい。それを徹底すべきではないか。男に手を触れられたら大変なことだ。大切な恋人が自分以外の男に触れられるようなことがあってはならない。だから、買い物を一人で行かせることすらできない。必ず二人で買い物に行く必要があるのではないか。さらに言えば、男が触れたものを恋人に触れてほしくないと思わないのだろうか。不可能に近いかもしれないが、どこかの場面で男が携わったものに携わること自体が、許しがたい。そう言い出すと、何も使えない、食べられない、どこにも住めない、のかもしれない。しかし、そう考えてみることすらない男は奇妙である。

 そしてそもそも、彼らはよく平然とした顔で、恋人を自分以外の男に会わせられるものだ。自分以外の男を観測するという時点で、それはもはや、あってはならないことのように感じられないだろうか。自分だけを観測し続けることが理想ではないだろうか。最低でも同居するのは当然だ。その上で、ほとんどの時間を自分を観測し続けてもらうことが、現実的に望ましいことだろう。平然とした顔で「また明日」などと言ってお互いに家に帰るというのは信じられないことではないか。常に一緒にいられないことに対して悲痛な叫び声が出そうにはならないのだろうか。そのようなあり得ないことを平然とした顔で許容し続ける奴らが、現実にいるというのが恐ろしいことだ。

論説・評論