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中絶について‐中絶は子供を救う「善い」殺人

「生まれる権利」に対する「生まれない権利」

中絶に関する議論において、子供には「生まれる権利」があるという人がいる。しかし、これは子供が生まれることを望んでいるという前提で考えられている。子供がもし生まれたくないと考えていたとすれば、むしろ「生まれない権利」というものが考えられる必要があることになる。子供は、親に強制的に誕生させられる存在である。子供が誕生する根本的な原因である、精子と卵を結合させるといった行動をするのは、親であって子供ではない。ゆえに、子供が自ら誕生したいと考えて誕生するというのはあり得ない。「生まれる権利」というのは、そうしたあり得ない前提の上で考えられているわけである。

中絶だけではなく、誕生させることもまた殺人

胎児は人間であるから、中絶は殺人であるといった意見がある。どこからが人間であるのかという議論をする余地もあるが、とりあえずそうした意見自体は納得出来なくはない。しかし、だからといってそれが子供を産むことを正当化する理由になるかといえば、そうではない。なぜなら、繰り返しになるが、子供はこの世に誕生したいから誕生したのではなく、親によって強制的に誕生させられたからである。しかも、生まれた人間はいずれ死ぬことになるのだから、誕生させることは殺人であると言える。結局のところ、子供が誕生した時点で、その親は殺人者であることに変わりはないのである。

中絶は子供を救う「善い」殺人

この世に生まれた人間は、いずれは必ず死ぬことになる。そして、幸福な人生を過ごした人間は、この世に対する執着から、死を不幸な体験であると考え、不幸な人生を過ごした人間は、この世に生まれたこと自体が不幸な体験であると考える。つまり、幸福な死に方というのは、一度限りの死という体験それ自体を望ましいものであると考える人以外においてはあり得ないことになる。せいぜい、「不幸な死に方」と比較した上で、それよりも「マシな死に方」であるというくらいのものでしかない。こうした事情を踏まえれば、産まないことこそが、その子供を救うことになるのである。ゆえに、中絶というのは実のところ、子供を救う「善行」である。もし中絶が殺人であるとしても、それは「善い」殺人なのである。