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評価について‐優れたものが高く評価されることは稀である

 馬鹿の群れに評価されるのは馬鹿なものであり、平凡な人の群れに評価されるのは平凡なものであるとおおよそ相場が決まっている。というのも、馬鹿には馬鹿なものの価値、平凡な人には平凡なものの価値しか理解できず、たとえ優れたものがあったとしても、全くもってそれらは理解不能で役に立たないものとしか思えないからである。

 その一方、優れたものが評価されるためには、優れた人が多いということはまずもって無く、ほとんどの場合、その価値を理解でき、かつ権威のある人によってそれが評価され、馬鹿あるいは平凡な人がその価値を認めざるを得ない状況をつくる必要がある。そのため、もし権威ある人までが馬鹿あるいは平凡な人であれば、いくら優れたものがあったとしても、それが評価される可能性は皆無に等しいだろう。

 また、同時代の人々の趣向に合うものであれば、次の時代になれば忘れ去られる場合が多いとしても即座に評価されやすく、時代を先取りし、さらには時代を越えて人類全体にとって価値があるとさえ言えるほどの優れたものであれば、一度評価されれば末長くそれが続く場合が少なくないとしても、同時代の人々の趣向には全くと言っていいほど合わず、評価されるまでには長い年月が必要とされる場合が多いだろう。

 しかし、ここで深刻なのが、長い年月を経て評価されるとも限らず、その価値が認められるほど人々が進歩した頃には、もはやそれを発掘するのが困難になってしまっていたり、さらには跡形もなくなってしまっており、あたかもその優れたものが初めから存在しなかったかのようになってしまう場合があることである。そうして評価されるべきものが評価されずに葬り去られていったということは決して少なくないだろう。