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幸・不幸について

 ある物事自体が「幸福」であるということはなく、「幸福」は必ず「不幸」との対比によって現れる。というのも、何もかもが「幸福」であれば、それはもはや「幸福」ではあり得ず、当然の出来事になってしまっているのであり、「不幸」を知るからこそ、それが「幸福」であることを理解できるからである。つまり「幸福・不幸」の基準がつくられることによってようやく「幸福」は意識されるのである。

 そのため、他人の「幸福」によって自らが「不幸」になったり、他人の「不幸」によって自らが「幸福」になったりするというのは、全くもって当然の出来事である。そういう場合、他人が「幸福」であれば「幸福」の基準は引き上げられ、他人が「不幸」であれば逆にそれが引き下げられているということになるであろう。

 また、生まれ持った気質の影響に加え、誰もが全く同じ経験をするわけではないため、その基準もまた個々人によって異なるのも当然である。世間一般的に見てある程度「幸福」であったとしても、それが本人にとっての「幸福」を意味するわけではない。「幸福・不幸」の基準は、他人との関係性によって変動する場合もあれば、その人にとっての絶対的なものが出来上がっている場合もあるだろうが、いずれにしても、全くもって主観的な判断に委ねられる類のものである。