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皇室(天皇・皇族)について

極めて「恵まれた」自由の無さ

普通の人間には好きな仕事をする自由があるが、天皇にはないという意見がある。どうしても本人が天皇をやりたくないとなれば、果たしてどうなるのかはわからないが、確かに基本的には難しいだろう。しかし、それは家業を継ぐ子供も同様であり、天皇だけに限ったことではない。その上、普通の人間の場合、それで一生涯安泰に暮らせる保障はなく、天皇のように「様付け」で呼ばれるほど尊敬されることはないだろう。勿論、目立たずに暮らしていきたいという人に限って言えば、天皇になることは望ましくないと考えるのかもしれない。しかし、別に目立っても構わないという人であれば、一生涯安泰に暮らして尊敬もされるのだから、天皇になることを喜ぶのではないだろうか。自由が無いといっても、多くの人が望むような、極めて「恵まれた」自由の無さなのである。

天皇「だから」凄いという前提

右翼の人々がよく言う、日本のことを誰よりも真剣に考えているといったような、天皇の人間性についての考察は、全くもって無意味なものである。なぜなら、恵まれた地位を与えられ、それ相応の利益や尊敬を得ているのだから、その責任を果たさないことこそが無責任だからである。結局のところ、天皇を尊敬するというのは陳腐な権威主義でしかなく、「天皇だから尊敬する」ということでしかない。普通の人間が、日本のことを真剣に考えていようと、誰もお金を与えないし、尊敬をして「様付け」で呼んでもくれない。天皇という立場によって、全て崇高なものとして妄想されているわけである。

普通の人の大変さを知らない右翼

普通の人が天皇になったら耐えられないという意見はよく見かけるが、酷い権威主義であり、当然のことながら全くの詭弁である。耐えられるかどうかは、実際になってみないとわからないのであるし、天皇も人間なのだから、他の人間が誰も耐えられないというのは全くもって信じがたい話である。しかも実際のところ、天皇よりも大変な仕事をしている人は数え切れないほどいるだろう。その上、彼らは満足な収入を得ておらず、尊敬もされないわけである。とすれば、今よりも楽で、高収入を得て、尊敬もされる仕事があるならば、それに耐えられるだろうかと考えてみればいい。こうなれば、耐えられるという答えが出るのではなかろうか。天皇の大変さを語る人々は、普通の人間がいかに大変な生活をしているかがわかっていないのではないかと思われる。