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道徳について

全ての道徳は詭弁である

全ての道徳は、根拠のない詭弁でしかあり得ない。というのも、そこにおける善悪の判断においては、何が善で何が悪かという、絶対的には規定できない類のものを、自らの感情によって、あるいは何らかの権威を信じて規定することが必要となるからである。しかも、その時代において多くの人間が支持する考えが善であり、そうでない考えが悪であるということにならざるを得ない。

重要な論点

「マナーを守れ」という言説について

「マナーを守れ」という人は少なくないが、明確に言語化されて禁止されている場合、それは「マナー」ではなく「規則」あるいは「法」である。守らなくても何ら罰則がないがゆえに「マナー」なのであり、そのようなものを守ったところで直接的な利益にならないのだから、守らなくて当然である。守って欲しいという願望を訴える権利は与えられているのであるが、守らない権利も与えられているのである。

誰が定めた「道徳」が正しいか

「道徳」の捉え方が異なり、それが対立する場合には、どちらが正しいことになるのだろうか。当然のことながら、「善」と「悪」をどう規定するのかが異なれば、こうした事態も起こってくる。そして結局のところ、その時点における多数派が定めた道徳が採用されてしまうわけである。

「現実的な運用」の無意味さ

いくら道徳が詭弁だとしても、現実的には善悪を定めて運用していくしかないという人は多いだろう。しかし、詭弁によって人を騙すことは果たして道徳的なのだろうか。また、どれだけの人が死ぬまで騙されたままでいられるのだろうか。実際には善悪というものは規定することが出来ないということを示さないからこそ、世間を騒がせる犯罪行為によって示唆されるものが重要な意味を持つことになるのではないだろうか。