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個人サイトについて – 衰退した今も変わらない個人サイトの価値と代替サービスの弊害

「個人サイト」とは何か

個人サイトといって、どのようなサイトを連想するかは人それぞれ異なるだろう。ただ自分は、個人サイトには大きく分けると以下の四つのタイプがあると考えている。
まず一つ目は、自らの作品を公開することを目的として開かれた個人サイトである。こうしたサイトには、作品としての文章や絵、音楽、あるいはゲームなどが置かれている。
二つ目は、交流することを目的として開かれたサイトである。こうしたサイトには、特に何らかの作品が置かれているというわけではなく、掲示板やゲストブックの他に、作品として価値のない類の日記や、おまけ程度のミニゲームが置かれていたりする。
三つ目は、名刺代わりのサイトである。例えば、自己紹介や自分の仕事の経歴を載せたページだけしかなかったり、トップページに大きな写真を使用し、SNSアカウントとお問い合わせフォームへのリンクだけが貼ってあるようなサイトのことである。
四つ目は、三つ目のサイトにも近いのだが、著名人ないしはその人の所属事務所が、その人の商品を紹介するために開いただけのサイトである。こうしたサイトには、その人が作成したコンテンツがあるわけではなく、商品の一部分が置かれているだけである。
このように分類したわけであるが、この四つの分け方によって全てのサイトが明確に分けられるとは限らない。作品を公開するサイトでありながら、交流をすることもまた一つの目的であるというサイトは多いだろう。
しかし、作品を公開することを目的にしているならば、そのサイトは一つ目として分類するのが適切であると考えている。このように、そのサイトが何の目的で開かれたかということを考えれば、明確に分けることが出来るはずである。そしてこの四つのいずれかに分類できるものだけが個人サイトであり、それ以外は個人サイトではないと考えている。

「個人サイト」という作品

個人サイトというのは、単に機械的に作品を公開するだけの場所ではない。単に機械的に作品を公開するだけならば、投稿サイトと役割が変わらない。そうではなく、個人サイトの場合、そのサイトそのものが作品なのである。
自分がそうであったのだが、サイト自体を楽しむというのは、個人サイトを訪問する際の醍醐味である。個人サイトならば、サイトのデザインをどうするか、作品をどのような順番で、どこに置くのかということも自由に決めることが出来るわけである。

「個人サイト」のデザインについて

かつては、GIFアニメを多用したり、MIDIを流していたり、派手な背景であったりしたサイトが多かった。おそらくは、そうしたサイトの管理人は、個人サイト自体を一つの作品として捉えていたはずである。
しかし今となっては、そうした類のサイトはほとんど見当たらない。個人サイトであっても、最近のサイトデザインの主流と同じく、マルチデバイス対応に配慮した、見やすくシンプルなサイトばかりである。
個人的な意見としては、これはスマホの普及という事情を考えると仕方のないことであり、多少デザイン性を犠牲にしたとしても、サイトの閲覧者が快適に閲覧できる環境を整えることの方が重要であると考えている。

個人サイトの衰退

個人サイトが衰退したと考える人は少なくないだろうし、現に自分が強くそう感じている。ブックマークしていた個人サイトはほぼ全て閉鎖してしまっていたし、実際に個人サイト自体をあまり見ていないように感じるのである。さて、どうしてこのように感じるのかと考えてみれば、特に上記の一つ目と二つ目に分類したサイトが明らかに衰退したからであろう。
一つ目に分類したサイトは、代替サービスの流行によって衰退したと考えている。数多くの作品が、大手のコミュニティサービスに投稿され続けている。動画、音楽、絵、あるいは料理のレシピといったものもそうである。また、多くの人が無料ブログを活用し、記事を投稿している。こうしたサービスによって、苦労してサイトをつくるまでもなく、誰もが気軽に作品を投稿することが可能となった。
また、二つ目に分類したサイトは、SNSの流行によって衰退したと考えている。かつてネット上で交流することを主な目的としてサイトを開いていた人達からすれば、サイトを開くことがなくとも、SNSを利用すれば目的を果たすことが出来るため、サイトを運営すること自体の必要性がなくなったわけである。
三つ目と四つ目のサイトに関しては、ウェブサイトの増加に伴って増えてきているはずであるが、この二つに関しては、つい最近増えてきた類のサイトなのであるが、 かつての個人サイトを知っている人からすると、「個人サイト」と呼ぶには違和感があるものである。狭義の個人サイトは、一つ目と二つ目のサイトのことだけである。つまり、狭義の個人サイトについては衰退したと考えられるわけである。

コミュニティサービス・投稿サービスの問題点

今では簡単な操作をするだけでサイトを作成できるサービスが登場するなどして、サイト作成が手軽なものとなってきているが、かつてサイトを作成するとなれば基本的に、メモ帳などにタグを手打ちするか、ホームページ作成ソフトを購入する必要があった。前者の場合はHTMLやCSSに関する知識が多少なりとも必要になってくるし、後者の場合はそれなりのお金を払わなければならないし、ソフトを使いこなすためのスキルは必要である。少なくとも、特定のサービスに無料で登録し、そこに投稿すればいいというだけの気軽なものではない。
そのため、ネット上で作品を発表することが出来たのは、サイト作成にかける苦労を惜しまない人達に限られていた。そうした事情があるからか、個性的で魅力的なサイトと巡り合うことが多かった。しかし今では、誰もが気軽に表現者になれる環境が整った一方で、熱意がないクリエイターが数多く登場し、彼らの作品によって、個性的な作品が埋もれてしまっているように感じる。くだらないコンテンツがやたらと目につくようにもなってしまった。
誰でも気軽に出来るようになるということは、良い面もあるが悪い面もある。ついでに個人的な考えを言うならば、こうしたサービスの登場によって、リアルと同じく、つまらない、くだらないノリが持ち込まれ、かつての面白いインターネットは完全に終わってしまったと思っている。

今も変わらない個人サイトの必要性

今やネット上には、作品を公開するためのサービスが数多く存在している。しかし、だからと言って、個人サイトの必要性が失われたかと言えば、全くもってそうではない。これには主に以下の3つの理由がある。
まず第一に、個人サイトの場合には、サイトにおけるどのページにも、他人の作品が強制的に表示されるということがなく、自分の作品だけをページ上に表示させることが出来る。これによって、サイトの閲覧者は、そのサイトにとどまる限り、他人の作品に関心が移ることはない。一方で、投稿サイトやコミュニティサービスの場合には、自分の作品が表示されるページに、例えば「関連する作品」などとして、他人の作品が表示されたりする。あるいは、サイト内検索をして他人の作品のページに移動するということもあるだろう。
第二に、個人サイトの場合には、自分の作品をどこに、どのようなサイズで配置するか、どのように並べていくか、あるいはどのような背景で表示するかといったことを自分で決められる。単に自分の作品を並べるだけではなく、どのように作品を見せていくかということまでこだわることが出来るのである。しかし投稿サイトやコミュニティサービスの場合にはそういうわけにはいかない。せいぜい、日付順や人気順、あるいは同じタグの作品を表示するといったことくらいしか出来ないのである。
第三に、個人サイトは特定のサービスに依存しにくい。個人サイトの場合、例えば無料のサーバーを利用するなどしていて、レンタルサーバーのサービスが終了するということがあったとしても、データのバックアップを取ってさえいれば、別のサーバーに移動して同じサイトを運営することも可能である。また、独自ドメインを取っている場合、そのドメインの維持し続けることさえ出来れば、例えば10年ぶりにブックマークからアクセスしてみようという人がいたとしても、アクセスが可能になる。しかし、投稿サイトやコミュニティサービスを利用している場合にはそうはいかない。数多くの作品をそこに投稿したとしても、サービスが終了するとなれば、全て削除されることになる。似たような状況を再現するには、別のサービスを利用した上で、再び同じ作品を全てアップロードし直さなければならない。
その他にも個人サイトを持つことには様々な利点がある。個人サイトがあることによって、本人の証明をしやすいし、お問い合わせフォームを設置していれば、仕事の依頼をするのも容易になるだろうし、個人サイトを持っているということによって、その人の活動が本気であることを示すことにもなるだろう。
個人サイトは、自分のような、過去を懐かしむ人(懐古厨)だけの間で共有されるだけのものではないし、他のウェブサービスと合わせて、ついでに利用されるだけにとどまるようなものでもない。ネット上において、変わりゆくサービスに依存せず、実用的で持続可能な場所を確保するための唯一の方法なのである。

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