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権力・権威について‐権力・権威・反権力・脱権力

大衆による権力・権威の捉え方の甘さ

権力によってではなく、権威によってであれば、大衆の支持を得ているのだから、それは正当な評価ではないかと考えやすい。しかし、大衆の支持というのは正当な評価なのか、本当に大衆は自ら支持したのかというのは全くもって疑問である。権力によって権威がつくられたということはないか、権威のように見せかけて、権力を行使している状況になっていないかといったことが明確にならないならば、権威を権力と切り離して考えることは出来ない。

反権力という名の権力

反権力にしても、権力と対等に渡り合えるならば、それも一つの権力である。単に、どちらの権力が強いかということなのであって、反権力だから権力ではないというのは間違いである。ただ、反権力も権力だからといって、それは権力と全く同じであると考えるのもまた間違いである。それは既存の権力に対抗する新たな権力なのであって、何かしら今よりも建設的な施策を行う権力であるかもしれないからである。

反権力と脱権力の違い

反権力というと権力に立ち向かうものであるが、脱権力というと権力に対して無関心という姿勢である。そのため、脱権力の場合、世の中の流れにそのまま影響される、権力に反抗することもなく服従する奴隷であるということにもなってくる。反権力の場合は、権力の奴隷になることを拒んでいるが、脱権力の場合は、権力を拒んでいるように見えて、結局は権力の奴隷になってしまっている。権力というものが排除されることがない以上、脱権力もまた権力から逃れることを意味しないのである。

ルールという名の権力

ルールを「権威」であると考える人々がいる。「ルールを守れ!」と説教する人たちなどがそうである。なぜ彼らが権威であると考えているのかと言えば、そもそも権力なのだから、守らなければ権力者によって制裁される、罰せられるというだけだからである。別に「守らなければならない」ということではない。「守らなければ罰せられる」というだけのことである。守れ!というのは、その方が適切である、「守るべきである」と考えているからである。

人気という名の権威と権力との繋がり

人気があるということは、権威があるということにもなる。なぜなら、彼らに影響されて行動や服装などを変える人が続出するからである。ゆえに、それは権力を得ることにも繋がっていく。なぜなら、彼らの権威を宣伝や集客に利用することで、実際の経済活動に繋がるのであり、権力者としても彼らの権威を利用したいからである。そして大抵の場合、権力者に加担し、自らも権力を得ようとするわけである。そうではなく、硬派にやっているのであり、自分は反権力だという場合であっても、お金を得るということは今の世の中においては権力を得ることと同じである。ほとんどの物事はお金があれば解決するわけであるし、お金で解決できないとすれば、それはそもそも不可能な望みだからである。