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命の大切さ(尊さ)について

 殺人事件を未然に防止するためには「命の大切さ」を教えることが重要であると主張する人は少なくない。しかし、大切であるかどうかは主観でしかなく、それを他人に強要するのはナンセンスであるし、それ以前の問題として、今の人間社会においてそれを主張するには無理がありすぎるのである。

 まず、人間は動物を殺して食べる生き物である。人間が生きていくために仕方なく殺しているのだという人は少なくないが、それでは何故「菜食」にしようということにはならないのか。本当に「生きていくため」に、動物を殺して食べる必要はあるのか。さらに言えば、「菜食」にしたとしても、植物の命という視点は排除して構わないのか。「命」に優先順位があるのだとすれば、それを「大切さ」という言葉で一括りにできるのか。あるいは、もし生きていくために動物を食べるのは仕方のないことだとすれば、生きていくために人間を食べることも、場合によっては仕方のないことではないのか。そうではないとすれば、人間は何を食べて生きていくべきなのか。

 もし「命の大切さ」を「人間の命の大切さ」に限定したとしても、相変わらず一筋縄ではいかない。どのような人間の命であっても大切だとすれば、何故「死刑制度」は廃止されないのか。先ほどと同様に、「人間の命」にも優先順位があるのだとすれば、それを「大切さ」という言葉で一括りにできるのか。あるいは、大切だからこそ「殺す」という場合はどうなのか。安楽死に限らず、相手が「死」を望んでいたとして、それを手伝うことは愛情の一種とも言えるのではないか。それらを全て「命の大切さ」という名目で、命は大切だから命があればいいという短絡的な発想であれば、人間はいつか死ぬのだから、その大切さは、せいぜい百年持つかどうかのものである。

 都合の悪い事情については隠蔽あるいは沈黙し、いつかは失われる命としての「命の大切さ」を教えようとしたところで、その空虚な内実が明らかになっていくばかりである。かと言って、無駄な足掻きをすればするほど、「命の大切さ」というものが、実際には捏造されたものであることが明らかになっていくであろう。