メニュー

自殺について

自分を大切に思う人を悲しませるという意見について

本当に大切に思っているのならば、自殺をする前に助けることが出来るのではないだろうか。それが出来なかった時点で、実際にはそこまで大切に思っていなかったということが事実として示されているのである。また、そもそも大切に思ってくれるからと言って、それに報いる必要はない。自殺した人の方からすれば、それは一方的な好意でしかないか、あるいは、心中を持ちかけたが断る程度の好意だったということではないだろうか。結局のところ、全ては結果に示されるのであり、どのように思っていたかというのは一切関係ない。本当に大切だと思うのであれば、自殺を止めるか心中する以外にはあり得ないのである。そうなっていない時点で、相手を大切に思っていたと言ったところで、その気持ちを上回る「自己愛」に満ちていることが明らかになっている。

他人に迷惑をかけることになるという意見について

助けてくれなかった連中に対して迷惑をかけることは、ごく当たり前のことではないだろうか。勿論、全く手助けを求められないがゆえに助けなかったのだという人もいるだろう。そうした人が不利益を被るのは理不尽であるかもしれない。しかし、身近にいながら助けることがなかった親が賠償金を請求されたり、人身事故で電車が遅延したときに、迷惑をかけるなと言っているような連中が自分の予定に遅れたりすることなどは、あって然るべきの不利益のように思われる。自殺する人を助けようとしない人々が、迷惑をかけることだけを制限しようとするのは傲慢である。迷惑をかけてほしくなければ、その人を助ければいいだけのことではないだろうか。

「自殺をしてはいけない」という言説の無意味さ

自殺を否定する根拠を示そうとする人々がいる。しかし当然のことながら「自殺してはいけない」のような、「〜してはいけない」という類の言説は単なる「お願い」にしかならず、全て否定され得るため、その根拠は全て詭弁である。人間には、可能な限りのあらゆる行いをする権利が存在する。(ついでに言えば、犯罪行為でさえも、罰則が定められているだけで、それをする権利があることに変わりはない。)そのため、自殺をしてもよいかどうかといった類の言説は、全てが個々人の感情論にしかならないため、そのようなことを議論する人々は、いつまでもお互いに詭弁を言い合うだけなのである。

自殺の必要性、社会の問題点、自殺を減らす方法

自殺することがなくとも、人はいつか必ず死ぬ。それが遅いか早いかの違いがあるだけである。そして、自殺してもいいし、自殺しなくてもいい。繰り返しになるが、人間には、可能な限りのあらゆる行いをする権利が存在する。だから、本来であれば、死ぬまで生きればいいだけのことである。しかし、それにも関わらず自殺するのは、現在の状況から考えて、苦労をし続けても大した利益は得られないとか、利益よりも苦労の方が多いというように感じられるといったことが深く関わっているだろう。つまり、地位・名誉・富といったものを得られそうにない、あるいは、全く働かずに社会と関わらずに消極的に生きていくということが出来そうにないように感じるわけである。それ以外に考えられるのは、恋愛の問題くらいだろう。だから、自殺者を減らしたい、自殺する前に救いたいというのであれば、地位と名誉と恋愛については干渉出来ない以上、金銭的な支援が先決ということになるだろう。