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架空のキャラクターを好きになる人達について – 二次元キャラへの依存を例に

 男女とも、アニメや漫画などの、所謂「二次元キャラクター」に恋をしたり、依存とも言える状況に至っている人が増加している。
(※厳密な意味で、それらのキャラクターが「二次元」であるかどうかなどの「次元」の議論はここではしない。今現在の主流としては「二次元」という呼び方がなされている(おそらくは0次元を点、1次元を線、2次元を面、3次元を空間などとして想定している)ため、それに従うことにする。また、二次元と比較したときの「三次元」については、今現在人間が生活している世界のことを想定するものとしておく。)
 
 この現象はまず、アニメや漫画の消費自体が常識になったことや、ツイッターなどのSNSによってそれらがコミュニケーションのツールになったこと、とりわけアニメを日常的に見ることによって、「二次元キャラクター」に愛情を覚える脳の回路が出来上がって、本能的に慣れていったということなど様々な経緯があると思うが、それらについてはここでは深く掘り下げないことにする。
 ここで考えたいことは、二次元キャラクターを消費して性的に満足する日本人の実態であり、「二次元キャラクター」に恋をしたり依存したりしている人達が、いかにそれらを誤解しているか(それとともに現実を誤解しているか)、そしてその誤解によって愚かな行為をしているかということである。

 まず彼らがいかに「二次元キャラクター」を誤解しているかについて考えていきたい。そこで、「二次元は裏切らない」「二次元は可愛い(カッコいい)」という、よく言及される発言について考えてみたい。
 最初に、「二次元は裏切らない」についてであるが、「二次元キャラクター」は主にアニメや漫画、ゲームなどに登場するのだが、その展開はあくまで「作者」によって決められているし、その特性上、「裏切ることも出来る」。例え一切「裏切っていない」様子ばかりが描かれていたとしても、それは「作者」がそのような場面ばかりを描いてそれを印象づけただけであって、実際のところ描かれていない場面では陰口を言っていたりするかもしれないのである。二次元の便利さはまさしくこのようなところで、都合の良いように描くことで、それだけを「事実」だと認識させることができるのである。しかし、そんな意図的なものを「二次元は裏切らない、三次元は裏切る」などとして対立させても意味はない。例え三次元であっても、裏切らない場面だけを見せることは可能であるだろう。良い場面だけを描く「二次元」と同じく、「三次元」では、良い場面だけを観測者が観測すればいいだけなのである。
 また、これまではあくまで「二次元は裏切らない」と発言している人が言っている態度を汲み取った上で話してきたが、これは前提事項自体が曖昧であるということも言っておかなければならないだろう。
 先ほど「裏切ることも出来る」と言ったが、そもそも消費者と「二次元キャラクター」との間に「信頼関係」が存在しておらず、そうである以上は「裏切ること」が不可能な状況も考えられるのである。例えば消費者は「二次元キャラクター」が主人公と結ばれたとしても、「自分と結ばれた」と曲解するだろうし、疑似恋愛ゲームなどの場合には主人公が消費者自身にはなるが、そこにおいても信頼関係というのは完全にデータベース化されていて、プログラミングされた行動様式を確実にこなすだけなのである。(現に「攻略ガイド」などが出版されたりしているのはそれを証明していると言える。)つまりは、「裏切らない」という前提で消費しているだけであり、実際にはその消費者の世界は閉じてしまっている。社会との関わりを必要としない特性を利用し、自分だけが満足しているだけなのである。設定に縛られたものを消費し、その先は自分が妄想することで、自らの都合の良い解釈をしていくことで、「裏切られない」ように妄想していくのだ。

 次に、「二次元は可愛い(カッコいい)」について考えると、確かに「可愛い」「カッコいい」という判断自体は主観的なものでしかないためそれ自体は否定しようがないのだが、「二次元」だから可愛い(カッコいい)ということでは決してないだろう。あくまでそれを可愛い(カッコいい)と思う脳の回路がつくられただけであり、それは神経の問題でしかない。「二次元」を人間のように認識する能力がなければ、ただの絵としてしか認識されないだろう。恋愛や依存などはあり得ないことになる。つまりは「洗脳」でしかないということだ。原理的にはどんなものであっても、それを見て性的興奮を覚えたり、癒しを覚えたりするような脳の回路さえつくられればよく、それは意識的なものであれ、無意識的なものであれ、訓練によって多くの人ができるようになる。極端な例として、モンスター等が萌え絵仕立てになったりして(性器なども描いて)いるものもあり、それらの多くは性的興奮を要請するものである。このように考えると、確かに本人が「二次元は可愛い(カッコいい)」という認識をしていること自体を否定するのは無粋とも言えるかもしれないが、それは少なくとも絶対的なものではないということを理解するべきである。しかも、多くの場合「二次元は可愛い(カッコいい)」と言いながらも、「三次元の人間」に対する好みを適用しているはずである。そうでなければ、「二次元キャラクター」とは言えど、人間を(違いは大いにあるとしても)模倣した絵を好むことはないだろう。しかも、アニメの場合にはただの絵ではなく、声優がいてある程度人間像のようなものを形作った上で、極めて人間的なものとして理解していると言えるだろう。それは「二次元」単独で「可愛い(カッコいい)」などと言えるものではない。
 三次元にはイケメンも美女も数多くいる。しかしながら、彼ら(彼女ら)の多くは、決して運良く人気になった「二次元キャラクター」のように報われるわけではない。また、彼ら(彼女ら)と付き合った際にも、必ずしも「裏切る」わけではない。自分の数少ない社会経験の中で、先入観だけで「二次元」「三次元」を判断し、自己完結しているだけなのだということが、残念ながら「二次元キャラクター」に恋をし、依存している人達の多くは全く気づいていないようである。イケメンや美女は性格が悪いだとか、自分には振り向いてくれないなどと決めつけてしまっている人も多い。

 さて、これまで「二次元は裏切らない」「二次元は可愛い(カッコいい)」などという発言について考えてきたが、「俺の嫁」という用語(スラング)についてもついでに少し考えておきたい。
 お気に入りの「二次元キャラクター」に対して「俺の嫁」というように主張する人がいる。その人がどういう意図で言っているかはわからないし、冗談と言ってしまえばそれまでだが、実に奇妙であるため少し真面目に考えておきたい。
 まず、日本では一夫一婦制であるということは周知の事実だが、それにも関わらず、何人も「俺の嫁」がいたりするのである。誰か一人を嫁として設定すれば、それ以外の人については「浮気」である。しかも、三次元(現実)の嫁を区別して「リアル嫁」などと称したりしているのは奇妙である。「二次元」と「三次元」の違いはあれ、それは「浮気」と言ってもいいようなものである。ここまで奇妙なことが日本で起こっているというのは深刻だと言えないだろうか。
 また、それを考慮せずとも、「俺の嫁」はそもそも成立していないということを言っておきたい。(妄想の中では何でもアリなのかもしれないが、それはここでは想定しない。)さて、憲法24条[家庭生活における個人の尊厳と両性の平等]の中における、「婚姻は、両性の合意のみにおいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、意地されなければならない」という部分を考慮すれば、「両性の合意」がまずないのである。勝手に「俺の嫁」などと多くの人が言い合っているだけで、どれも成立していない。相互の協力というのも、その特性上困難であるだろう。

 さて、このように「二次元キャラクター」について誤解があることは明らかだが、それ以外にも非常に奇妙な点がいくつもあるため、それらについて考えていきたい。

 そもそも消費者が消費しているものはあくまで映像や漫画本やフィギュアである。それは需要さえあればいくらでも製造されるものである。果たして消費者はそのことをどの程度意識しているのであろうか。
 例えば好きな人がいたとして、クローン技術によって「好きな人と全く同じ性質を兼ね備えた人」ができたとして、それを全く同じ人だと認識できるというのであろうか。そして、多くの人がその「好きな人と全く同じ性質を兼ね備えた人」を購入したとして、それを許容できるのであろうか。複製可能なものを好きになるということは、それを許容するようなものである。しかも、「〜が好きな人コミュニティ」のようなものも盛んである。自分だけが独占したいというよりも、コミュニケーションの中でその「二次元キャラクター」を共有しているかのような状況なのである。勿論、「二次元キャラクター」が好きで、他にも好きな人がいてもそれを認めたくないという人もいることは断っておかなければならない。
 
 また、「二次元キャラクター」が好きであるとともに、その声優を好きになる、という状況も立ち現れている。これは最近とりわけ顕著になっていると言えるだろう。
 果たして消費者は「二次元キャラクター」が好きなのか、その「声優」が好きなのか、どちらになるのだろうか。自分の経験から言えば、「両方」と答える人が多いのである。
 それでは、実際のところどの「肉体」を愛することになるのかというと、消費者側にもはや「肉体」の概念が存在していないか、自己完結している場合が多いのである。
 そのため消費者はそのどれも消費しなければ気が済まなくなり、「二次元キャラクター」のグッズは勿論のこと、その「二次元キャラクター」が登場しているアニメのブルーレイディスク、その声優が歌うキャラクターソングCDなど、多くの物を買い漁る必要が出てくるのである。こうして様々なものを消費していく中で、依存症のようになっていくようである。これの怖いところは、自分が「貢いでいる」という実感もなく、しかもその「貢いだ」金額は決して「二次元キャラクター」には届かないという事実を理解できなくなってしまうことである。勿論「声優」には金額の一部が行き渡ることにはなるだろうが、それが「貢ぎ」であるという意識をできなくなるのは危険である。彼らの多くは、ホストクラブやキャバクラに行って貢ぐことは否定するが、そのように洗脳されて「貢がされていく」ことを決して否定しない。これでは薬物依存と似たようなものである。

 更には、人間ではないため、生誕祭などについても制作者側が設定しただけに過ぎないのだが、それを意識することもなく、「誕生日おめでとう」などと言って賞賛している。それとともに、その「二次元キャラクター」のグッズや、そのキャラクターの「声優」によるキャラクターソングCDも発売されたりして、消費者達はまるで餌に群がる動物のように買い漁っていく。
 「二次元キャラクター」を「可愛い(カッコいい)」などと言っている間に、「三次元」で「可愛い(カッコいい)」人達の一部は貧困に陥っていたり、自殺したり、ホームレスになって餓死したりすることもある。もはや今の世の中は完全に「三次元」よりも「二次元」の方が売れやすくなっているのだろう。これは、近くにホームレスの人がいるにも関わらず、ワンちゃん(犬)に募金を、などと呼びかけている人達と同じくらい、愚かな行為だと思うべきではないだろうか。
 あまりに「二次元キャラクター」が好きで、二次元に行くために自殺を試みるような人まで、男女を問わずして出てきている。

 このような状況において個人的な意見を言わせてもらえば、「二次元キャラクター」や「声優」などに依存する前に、もう少し知性的な消費をした方がいいように思うし、「二次元キャラクター」など虚構でしかないと思っている。確かに、何を愛するかは自由ということになるのであろうし、結局はどんなものをどのように見て考えるかというのは感覚質(クオリア)の問題であったり、後天的なものであれば、どのような物を見てどんな脳の回路が出来上がっていったかの違いであるだろうし、それを否定することは無粋かもしれないが、ただ餌に群がる動物のように虚構に依存する人間というのは愚かに見えて仕方がないのである。