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哲学とは何か – 自分の考える哲学と大衆の考える哲学の違い

大前提

「哲学」とは、世間一般的な常識に囚われたり、誰かの意見を盲信したりすることなく、特定の物事を徹底的に考え、疑い抜き、その実態を可能な限り明らかにし、それを的確に表現していくことであると考えている。これを前提として、哲学とは何「ではない」か、哲学者とはどんな人「ではないか」といったことに触れながら考えていく。

哲学と思想

哲学と思想の関係性についても考えておきたい。これらは似たような意味で使われる場合が多く、全く同じものとして捉える人も少なくないようである。しかし自分としては、哲学は思想の一部であり、論理的思考によって考え抜かれた思想であると捉えるのが適切であると考えている。 哲学はどこまで突き詰めても思想という形で発表せざるを得ないわけであるが、思想には哲学以外のものもある。単なる個人的趣向も、思想には含まれる。こうした事情を踏まえれば、哲学は言わば、厳選された思想である。

哲学は有名な哲学者を研究することではない

哲学というと、有名な哲学者の研究をすることであると考えている人もいるだろう。しかし、そうした研究は哲学ではないし、そうした行為は哲学的な態度からはかけ離れている。なぜなら、彼らは他人の考えを盲信し、それを暗記しようとしているだけだからである。実際のところ、哲学というものに興味を持つ人の多くは、哲学者に興味を持っていることだろう。そういう時期があることが悪いとは言い切れない。他人の色に染まり、それを完全に否定し切る計画があるというならば、それも有意義なことかもしれない。ただ、それが哲学ではないということに変わりはない。

哲学科の教授は哲学をしていない

哲学科の大学教授のことを哲学者であると考えている人は少なくないだろう。しかし、繰り返しになるが、哲学は有名な哲学者を研究することではない。哲学科の教授の仕事は哲学をすることではなく、有名な哲学者に関する知識を学生に教えることである。にも関わらず、彼らには権威があり、世間一般的には哲学をする人、つまり哲学者として捉えられているようである。

哲学に曖昧ないしは難解な用語は必要ない

「~論的」といった言葉のように、曖昧であったり難解であったりする用語を使いたがる人達がいる。本当に深く理解しているのならば、そうした曖昧ないしは難解な単語を、わかりやすい表現に変えることが出来るはずである。それをあえてしないというのならば、彼らは知的な素振りをしているだけである。哲学においては、わかりやすい表現をするに越したことはない。なぜなら、様々な解釈が生まれてしまい、その文章が意味することが明確にならないからである。曖昧ないしは難解な表現を使い、理解し合える者同士で内輪ネタを繰り広げて満足する人達は、哲学をしていないし、哲学的な態度からはかけ離れている。

哲学の題材は身近にある

哲学というと、堅苦しいイメージを抱く人がいる。しかし、哲学の題材はすぐ身近にある。自分の好きなものでも、嫌いなものでも構わない。論理的ではなかったり、不可解なことがあるならば、それについて考えてみればいい。そうしたシンプルな行動が、哲学になるわけである。

哲学は最も役に立つもの

哲学は役に立たないという人達がいる。しかし、哲学は最も役に立つものである。哲学がなければ、物事を疑い抜き、その実態を明らかにすることによって、その存在が適切であるのか、より良いものにするにはどうすればよいかといった根本的な方針を決めることが出来ない。哲学以外に出来ることは、哲学を土台とした上で必要となる細かい仕事だけである。確かにそれらは大事であるが、哲学がなければ、何かをより良いものにすることは出来ない。哲学がなければ、自由や平和、人権、平等といった概念は生まれなかった。単に、その時の権力者が権力を行使し、大衆はそれに従うだけであったはずである。特にここで自分が強調したいことは、生まれるということ自体が生まれる人間にとって理にかなっているかということに関する哲学である。人類衰退論という名目で高校の頃から常に考えていたのであるが、結論としては、生まれないことこそが、その人間にとって理にかなっているということになった。詳細はこちらをご覧いただきたいのだが、不幸な人生を送ってきた人だけではなく、幸福な人生を送った人間さえも、死がそれだけ不幸な出来事になるため、人生の最期には不幸になっているといったことが重要な点である。さて、こうして一刻も早く人類が衰退、滅亡することが人類にとって望ましいという結論が出たわけであり、人類が取るべき行動は極めてシンプルなものとなった。もう新たな科学技術は必要ないし、持続可能なエネルギーも必要ない。これ以上子供を誕生させなければいいだけである。このように、哲学は物事を進歩させるために必要不可欠な土台であり、人間が行う哲学以外の仕事は、全て哲学に依存しているわけである。