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主な思想・主張

月永皓瑛の主な思想・主張は、大きくわけると以下の5つになる。
(また、それぞれに関連し合っている。)

「絶対的な正義」はない。

「正義」と「悪」という一見対立していそうな概念があるが、
これは正義の側から見た「正義」と、悪の側から見た「正義」の違いでしかない。
つまり、「正義」と「正義」のぶつかり合いでしかないのだ。
どちらかの「正義」を「絶対的な正義」と呼ぶ事は出来ない。

人は皆、何らかに「洗脳」されていると疑うべきだ。

情報社会においては、その正当性をめぐる様々な議論が溢れかえっているが、
何を信じるにせよ、その信じたものが絶対的に正しいとは言い切れない。
どんなに理屈が通っているとしても、それはあくまでその時点において正当性があるだけであり、
真実であるかどうかは、その事柄の関係者しか知りえない。
だからこそ、人から聞いた話をもってして真実だと言い張る前に、客観的に事物を判断するためにも、
自分が「洗脳」されていないかを疑ってみるべきだ。

先入観で人や物を判断するのは愚かな事である。

善悪判断や才能の有無においても、先入観で何等かを判断するのは愚かである。
その時点で例えば、一般的には歓迎されない行為をしていたとしても、
その背景にある様々な事象を見てみると、当事者が悪いとは決して言い切れない事が数多くある。
それを一切考慮せずに、
「性格が悪い(犯罪行為等の場合)」「怠け者だ(引きこもり、ニート等の場合)」「自分を安易に安売りしている(性風俗等の場合)」等(状況において様々だが)
と批判すべきではない。
批判者は、「それしか選択肢のない状況」に追い込まれていないだけか、
「そこにしか意味を求められなくなった状態」を知らないだけなのだ。

集団社会は生きづらい。

日本においては、絶対的な神に値する存在が普及しておらず、
他人の中に神的なものを見出すほかになくなっている。
そのため、必要性に応じて「集団」が出来、そこで定められたルールに違反する人たちを排除する事によって、
多数派であると認識する事でしか、集団の構成員は自我を保てなくなっており、
集団から疎外された人たちは孤独感に苛まれる事になっている。
また、集団社会から疎外された集団が出来上がったとしても、そこもまた同様の流れで進んでいく。
こうした状況から、生きづらさが拡散されていく。

人類は衰退した方が幸せだろう。

今後どのような世界になろうとも、
全人類が幸せに生きるという根拠がないからだ。
もし不幸に生きる人がいたとしたら、
不幸に生きる事がないという事実を根拠として、
相対的に「幸せ」であると断定するしかないのではないか。
(また、多くの人が幸せに生きている状態が形作られていたとしても、
それを根拠に不幸に生きている人たちを見過ごすわけにはいかない。)
安易に子供を産んで、奴隷を製造する事もなく、幸せに生きるよう無責任に願う事もなく、
親として何らかの期待を背負わせる事もあってはならない。
全人類が幸せになるために、一刻も早く衰退するしかないだろう。